麻雀漫画の持つ狂おしいまでの魅力が知らない人にも伝わるように徹底的に言語化してみた
麻雀漫画の面白さとはなんだろう?
先日書いた記事が、ありがたいことに多くの人の目に触れることになりました。
「熱のこもった記事で感動した」「感激した」といった激励のDMなどもいただき、あの長い記事を読んでいただいたことに感謝するとともに、麻雀漫画の魅力を少しでも多くの人に届けられたのではないかと嬉しく思っています。
しかし、この記事を書いてみてからずっと頭の中に引っかかっていることがあります。
それは、「麻雀漫画の"面白さ"とはどこにあるのだろう?」という疑問です。
※知らないひとにも伝わるように書いてはいますが、1から10まで麻雀のルールや用語を説明することはしていません。
- 麻雀漫画の面白さとはなんだろう?
- 麻雀漫画というジャンルと『近代麻雀』
- いまあえて、本格派麻雀漫画の面白さを語る
- 1.麻雀漫画とはミステリーである
- 麻雀漫画とはサスペンスである
- 麻雀漫画とはアートである
- 麻雀漫画とは人生である
- 麻雀漫画とは、「麻雀の面白さを凝縮し、フィクションによって昇華した作品」である
麻雀漫画というジャンルと『近代麻雀』
麻雀漫画というジャンルは多くのファンに愛されています。
それは『近代麻雀』という、連載されている漫画がすべて麻雀漫画という、知らない人が見たら仰天するような雑誌が何十年も全国で売られていることからもわかります。さらに、かつては『近代麻雀オリジナル』『近代麻雀ゴールド』という雑誌までありました。
最近では『咲』、『凍牌』、『無敵の人』、『マジャン〜畏村奇聞〜』など、近代麻雀以外でも人気の麻雀漫画が連載されるようになってきています。他にも過去を遡れば『哲也』『理想雀士ドトッパー』など、一般の少年誌・青年誌で麻雀漫画が連載されていたこともありました。また、全編麻雀漫画ではないものの、『賭博堕天録カイジ』や『ギャンブルフィッシュ』のように、作中で麻雀対決が繰り広げられることもたまにあります。
しかし、おそらく世に出された麻雀漫画の95%以上は近代麻雀初ではないかと思われます。それだけ多くの麻雀漫画が近代麻雀誌上に掲載されてきたのです。
(追記:「80年代~90年代にはもっと他にも麻雀漫画雑誌があり、近代麻雀はむしろ後発」というご指摘をいただきました。調べてみると他にも20誌くらい出ているようです。戒めのため、上の記述は消さずにそのままにしておきます。
参考:http://www.kansuke.jp/mahjong_magazine.pdf)
この近代麻雀という雑誌ははっきり言って異常です。
通常の週刊や月刊の漫画雑誌では、偏らないように様々のジャンルの漫画が掲載されています。王道、スポーツ、ラブコメ、ギャグetc...。広い読者層を想定しているため、どんな趣向の人でも楽しめるようにするとともに、単行本なら手に取らないジャンルの漫画にも手を出してもらおうという狙いがあるからです。
それに比べて、近代麻雀はとても漢らしい(?)路線を取っています。
想定読者を「麻雀が大好きな人」という世間的に見ればものすごいニッチな層にぎゅっと絞り込み、その層が楽しめるようなコンテンツのみを全力で提供するというとんでもない雑誌なのです。
そして、この雑誌は、
「作中に麻雀牌が出てれば全部麻雀漫画じゃ!!」
とでも言わんばかりの豪快な方針を取っているため、なんでもありのカオス状態になっています。
本格派の麻雀漫画から、ゆる〜い四コマ、ぶっ飛んだギャグ、唐突にサービスシーンが始まるエロ漫画まで、ありとあらゆる作品がごった煮状態となっています。
ぶっ飛んだ麻雀漫画の極地、『ムダヅモなき改革』
実際、最近の近代麻雀では19年続いた鷲津麻雀が決着した一方で、ゲッターロボが麻雀で争っていたり、金八先生(のパロディキャラ)がムスカや海原雄山などからインパチを直撃したり、トランプ大統領と女子高生が麻雀を打ったりと、もうなにがなんだかわからないことになっています。(しかもこれが平常運転)
どれだけドカベンやキャプテン翼の人気があっても『近代野球』『近代サッカー』のようなそのジャンルだけに特化した雑誌は成立しません。
近代麻雀のような雑誌形態が成立する理由はさまざま考えられますが、「麻雀が絡めばどんな作品も許す」というその懐の広さが大きな理由になっていることは間違いありません。
いまあえて、本格派麻雀漫画の面白さを語る
麻雀漫画というジャンルの中でもさらに様々なジャンルへと分類できる中で、今回その面白さを伝えたいのは「本格派麻雀漫画」です。
何をもって「本格」とするのかは議論になるところですが、ここでは広く「緻密な闘牌シーンがメインのある作品」としておきます。(緻密さについては主観が入るところですが、一旦置いておきます)。いせえびも『ムダヅモなき改革』や『3年B組一八先生』が大好きですが、ここでは触れないこととします。
以下、「麻雀漫画」と呼ぶものは「本格派麻雀漫画」の話だと思って読み進めてください。
以前の記事で紹介した作品も、本格派麻雀漫画ばかりでした。
こうした本格派麻雀漫画が大好きで最高に面白いと感じるからこそ長年愛読し、紹介記事を書きました。
けれど、この記事を読んだ麻雀を知らない友人から、ある質問をされました。
「麻雀漫画ってどこが面白いの?」
全く悪意のない好奇心からの質問だったのですが、答えに窮してしまいました。
プロットを話せば「面白そう」となってもらえるかもしれないものの、「面白さ」を抽象化して言語化しようとするととても難しいことに気づいたのです。
面白いと感じる断片的なシーンは無数にある。
しかし、それぞれのシーンが持つ面白さは共通する要素もあれば、違う要素もある...。
そうして日々考えに考え、麻雀漫画に面白さを感じる要素を徹底的に言語化してみました。それを文字に起こし、麻雀漫画を知らない人にもわかるようにまとめたのがこの記事です(とは言え、テンポが悪くなるのを避けるため、麻雀のルールや用語を逐一説明するようなことはしていません)。
麻雀漫画の面白さはどこにあるのか。
以下では四つの観点から説明していきます。
長いですが、興味のある方はお付き合いください...!
1.麻雀漫画とはミステリーである
不完全情報ゲーム、という言葉があります。
ゲーム理論で用いられる用語で、プレイヤーから見えない領域のあるゲームのことを指します(その逆は完全情報ゲーム)。
麻雀は将棋や囲碁のような完全情報ゲームと異なり、山や手牌などの見えない領域が存在する不完全情報ゲームです。
そのため、見えない情報への想像力がとても重要になります。
昔の戦術書や麻雀漫画ではよく相手の手を読み切る「一点読み」が行われ、その重要さが説かれてきたりしました。待ちを一点で読み切った時の快感にはえも言われぬものがあります。
少し前に刊行された成岡プロの戦術本『神眼の麻雀 山を透視して勝つ技術』が多くのファンを魅了してやまないのも、その読みの大胆さと鋭さに惹かれたからでしょう。
けれど、実際に相手の手を読み切れるほどの情報が出揃っていて、さらに自分がそれを正しく処理した上で利用できるケースは非常に稀です。
字牌、端牌を順当に切り出してのリーチなどは読みようがありません。せめて、ターツ落としや副露が入っていないと読みの手がかりが得られないのです。
そのため、現代の戦術では「危険牌を読み切る」ことよりも、「安全牌を探す」という消去法的な読みの方がポピュラーになっています。
「読み」は将棋や囲碁にはない、麻雀独自の要素であり醍醐味でもあるにも関わらず、高い精度の読みを行えるほどの情報がないという場面が多いのです。
しかし、この上なく美しい「読み」を 決めるシチュエーションが存在する場があります。
それが、麻雀漫画です。
読者に情報がフェアに与えられている中で、読みによってパズルを解きほぐすように見えない真実(相手の待ちや山)にたどり着く。
作中の雀士たちは、名探偵が事件の謎を暴いていくが如く鮮やかさな読みを披露します。
牌譜が芸術の域に達している『鉄鳴きの麒麟児 歌舞伎町制圧編』
こんな読みをされたら勝てる気がしない『牌賊!オカルティ』
「一点読み」には麻雀のロマン詰まっていると言っても過言ではありません。
不完全な情報から推論を重ね、積み上げていくことで新たな真実が見えてくる。
それも、特殊な専門知識など使わず、ただ論理のみで答えを出し、そこに自分の決断を重ねる。
こうしたミステリー小説のような面白さを麻雀漫画は持っているのです。
麻雀漫画とはサスペンスである
ミステリーとサスペンスは似て非なるものです。
ミステリーが「隠された謎を解く」ことを楽しむのに対し、サスペンスは「シチュエーションの緊張感を味わう」ことがその醍醐味となっています。両者はその方向性か違うため、通常両立することはありません。
『サイコ』や『鳥』で知られるサスペンスの巨匠、ヒッチコックはミステリーとサスペンスの違いについて次のように述べています。
「わたしにとっては、ミステリーがサスペンスであることはめったにない。たとえば、謎解きにはサスペンスなどまったくない。一種の知的なパズル・ゲームにすぎない。謎解きはある種の好奇心を強く誘発するが、そこにはエモーションが欠けている。しかるに、エモーションこそサスペンスの基本的な要素だ」
例えばある連続殺人事件をテーマとした作品があるとします。
これを「犯人もトリックもわからない中で、犯人を暴く」ストーリーに仕立てたら、ミステリーになります。
一方、「異常な快楽殺人者に追い詰められながら、チャンスを見計らって捕まえようと奮闘する」ストーリーにしたらサスペンスとなります。
そのため、
ミステリーは「見えない謎がある中で、その謎に迫る」ストーリーに、
サスペンスは「ある明白な状況の中で、その状況を打開する」ストーリーになりがちなのです。
さて、本題である麻雀漫画の話に戻ります笑
なぜミステリーとサスペンスの説明をしたかと言うと、
麻雀漫画はミステリーとサスペンスという対照的なジャンルを包含する性質を持つ
ということを伝えたかったからです。
先述したように、麻雀は不完全情報ゲームです。自分の目から見えている情報には限りがあり、そういう意味ではミステリーと親和性が高いです。
しかし、情報がそれだけ限られているのはリアルの麻雀の話です。
そう、麻雀漫画では時に相手の手牌から思惑まですべてが見えているサスペンスへと化けるのです。
強敵が策略を巡らしているのを見ながら、果たして主人公はそれをどうやって凌ぐのか、あるいは凌げないのか、その緊迫したシチュエーションに読者はハラハラさせられるのです。
特にサスペンス色が強い漫画と言えば『アカギ』
一人称視点の時は緻密な推理を楽しむミステリーが、三人称視点の時は手に汗握る駆け引きにハラハラさせられるサスペンスへと変化する。
このように、麻雀漫画はロジカルなミステリーの要素に加え、エモーショナルなサスペンスの要素も併せ持っているのです。
麻雀漫画とはアートである
「アートとは何か」は、それだけで論文が一本書けるようなテーマであり、人によってそれぞれ捉え方が違うところなので深追いしません。
それよりもここで伝えたい、いせえびの考える「アート的なもの」とは、「抽象に美しさを与えられたもの」です。言語化が難しい、抽象化された記号の中に美しさを備えるものがアートであると考えます。
それで言うと、 麻雀漫画は本来無機質な牌譜に美しさを備えさせたアートなのです。
プロの囲碁棋士はよく「この棋譜は美しい」「意志のこもった一手」などと表現します。
また、数学者はeiπ + 1 = 0というオイラーの等式を
「数学におけるもっとも美しい定理」
と讃えます。
本来、ただの記号や数字の羅列であるものに対し、人間は美しさを覚え区ことがあるのです。
効率的な上達の方法や上級者の認知について書いた『上達の法則』では、上級者になると自分なりの「美観」を持つようになると述べています。
「陶芸鑑賞の上級者が陶芸展を見に行くと、入選作に対してでも「作品のテーマはわかるし、技術が高水準に達していることもわかる。入選したことも立派だと思うけれども、自分は好きではない」という感想を持つことがある。その種の感想が、気まぐれで起こるのではなく、一貫性のある形で起こるのが、上級者の特徴のひとつである。
文芸でも上級に達すると、有名な小説家の文章などで、関心はしても、そういう言葉の使い方は自分のスタイルではないというところが出てくる。
このように、技能に対して、巧拙の認知とは別に、好き嫌いの認知、自分なりの美観の認知が出てくるのが、上級者のレベルである(超上級者の場合には、もう一度その自分の美観を克服するプロセスがあるようだ)。」
(『上達の法則』p.102)
人間の認知は、巧拙とは別な美観を持つことがあるのです。
引用では上級者に限った話となっていますが、ある程度麻雀を打ったことのある人の多くがこの美観を持っているように思えます。
「三色とイッツーの両天秤は最も美しい牌姿」
「この形に受けるのが好き」
「ここでリーチをかける方が得なんだろうけど、シャンテンに戻す方が好き」
といった語られ方がするからです。
さて、翻って麻雀漫画では、作者が魂を込めた闘牌が繰り広げられます。
これまで無数の牌姿や展開が消費されきた中で、なお新しく面白い、読者をワクワクさせるような牌姿を作り上げようという努力の結晶が、麻雀漫画における牌譜なのです。
特に、現在も連載中の『麻雀小僧』『鉄鳴きの麒麟児』などは、「こんな発想があったのか!」と唸らされるような打牌や展開をいまだに生み続けています(『麻雀小僧』は電子書籍上のオンライン連載となりましたが)。
ちなみに、いせえびが麻雀漫画史上トップクラスに美しい一打だと感じているのが、『麻雀小僧』8巻第65話のこのシーンからの一打です。
ネタバレは避けますが、続きが気になる方は8巻をどうぞ!『麻雀小僧』
また、麻雀漫画ではありませんが、萩原聖人の伝説の三色も美しさを感じる手順の見本なので、ぜひ見てみてください。
作者が練りに練って作り上げた牌譜はまさに芸術作品です。
作者の魂がこもった美しい牌譜を愛でられる。
これもまた、麻雀漫画の持つ魅力なのです。
麻雀漫画とは人生である
さて、最後に大風呂敷を広げました笑
しかし、これを大真面目に語ります。
麻雀漫画の闘牌は、ときにそのキャラクターの人生が凝縮された形で現れるのです。
人生が決断の連続であるのと同様、麻雀もまた決断の連続です。
決断とは、複数ある選択肢のうちいずれかを切り捨て、一つを選択することです。
決断は英語のdecideが日本語に訳されて生まれた言葉ですが、その語源は
切り離して(de)-殺す(cide)
ところにあります。
麻雀では、自分の巡目が来るたびに、どれかを切って捨てなければなりません。
すべての可能性を残すことはできず、何かを諦めなければならないのです。
勝負の序盤は可能性に溢れ、あらゆる可能性を追うことができます。
しかし、中盤以降は葛藤を伴う決断を迫られる場面が生じます。
行くか引くか、リスクを取るかとらないかの選択を牌に乗せなければならなくなるからです。
そして、麻雀漫画ではしばしばそのキャラクターの生き様と打牌が重ね合わせて語られます。
麻雀と人生を重ねる『リスキーエッジ』
これまでの積み重ねこそが結末を作り上げる『鉄鳴きの麒麟児 歌舞伎町制圧編』
麻雀に己の人生を賭ける『てっぺん』
リスクを伴う選択が強いられる時、その人の生き様が表れます。
目を瞑って突っ走るのか、目を見開いて細い勝ち筋を探すのか、悔しさに歯ぎしりをしながらも諦めるのか。牌を切ることで決断を示さなければならないのです。
そのため、練り上げられた闘牌の中には、キャラクターの息遣いまでが聞こえてくるように感じるものさえあります。
14枚から1つの牌を選ぶ。
たったそれだけの行為に、曲げられない意志や意地、そして人生が感じられるため、強く感動するのです。
麻雀漫画とは、「麻雀の面白さを凝縮し、フィクションによって昇華した作品」である
ここまで四つの観点から麻雀漫画の魅力を語ってきました。
ミステリーであり、サスペンスであり、アートであり、人生である。
こうした多様なジャンルが持つ面白さを包含しているのが麻雀漫画なのです。
そして、これらの面白さは麻雀それ自体が持つ要素でもあります。読みの面白さや先の読めないハラハラ感、相手を出し抜いてアガりきった時の高揚感などは特にそうでしょう。
つまるところ、麻雀漫画は麻雀の面白さを凝縮し、フィクションによって昇華した作品なのです。これが面白くないわけがありません。
ここまで長々と書いてきましたが、少しでも麻雀漫画の持つ魅力が伝わったらこれに勝喜びはありません。
しかし、この記事だけでは麻雀漫画の持つ本当の面白さを味わうことはできません。
Kindle Unlimitedで読めるおすすめ麻雀漫画もまとめているので、ぜひ実際に読んでみてください!